社会人のいっぬ

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日記と人間科学

会社を辞めてしまう理由について

人が会社を辞める理由を

退職者面談でヒアリングや、当時の性格、仕事の内容から分析して、何とか退職者を減らそうという試みがなされますが、

結局退職する人は退職するので、しょうがないのかな…と感じる一方で

明らかに企業と社員のコミュニケーション不足が原因であると感じる側面もあるため、

なぜ退職するのか、肌感覚ですがまとめたいと思います。

 

理由1 人間関係

退職理由でよく聞くのがいわゆる人間関係ですね。

上司や先輩、同僚と気が合わなかったり、ノルマが厳しく、毎日上司から詰められたりなど職場の人間関係でストレスを感じ辞めていってしまします。

これは、上司の厳しく詰める姿勢を会社としてNOを示すのか、それとも売り上げ重視で多少の叱責は致し方ないと思うのか、企業側の裁量が大きいように感じます。

理由2 新しい仕事に対する興味

仕事を初めて2,3年が経った頃、仕事に慣れてきて楽しくなる人がいる一方で、慣れてきたからこそ、新しい仕事をしてみたい、新しい業界で働きたいという思いが生まれることがあります。若いうちは特にいろんな事に挑戦したいと思う人も多いのではないでしょうか。

対策:

企業側では、定期的に社員と面談し、どういう仕事をしていきていきたいのか、何に興味があるかなど、日々意思疎通をしていくことで少しは異動などで回避できることなのかなと思います。

理由3 将来を見据えた不安

職場にあこがれる先輩がいなかったり、仕事の内容が外部では通用しないのではないかという不安から、このまま今の会社にいてもいいのだろうかと不安に駆られ、辞めていくこともあります。

対策:

企業側では、1年後、3年後、5年後どうなっていきたいかヒアリングしたり、会社としては、あなたにはどういう仕事をこなして、将来的にどういうポジションについてもらいたいか、将来設計をすることでこのような将来の不安による離職を防げるのではないでしょうか。

 

 

理由と対策をざっくり書いてみましたが、

共通することは、企業と社員とのコミュニケーション不足ビジョンの共有不足があげられると感じました。

 

優秀な社員ほど、自身の将来像や、会社のビジョンを重視します。

自分がこの会社で何を実現できるのか、会社とともに何を社会に提供できるのかを考えています。

会社としては、社員にただ歯車のように働いてもらうのではなく、

会社を将来どのようにしたいのかビジョンを共有し、どのような働きをしてもらいらくて、将来はこんなポジションについてもらいたいなど、を共有し、一緒に同じ方向を目指す必要があると感じます。

 

それが人事担当者の仕事なのか、上司の仕事なのか、経営層の仕事なのかそれぞれだと思いますが、人材に関しては各立場の人たちがバラバラで取り組むのではなく、会社一丸となって取り組むべき課題であると考えます。

ただ、一丸となって取り組むには、何と言いますか、見えないハードルがあるようにも思えており、

未だにそれぞれがバラバラに活動しているように見えるので、まずは人材育成のビジョンの共有から一歩ずつ、進めていく必要があると感じます。

 

 

それらができていない会社の社員は、

ふとした時に「モヤモヤ」を感じ、(今の転職しやすい情勢ですから)

何となく転職サイトに登録して、

思ったより早く次の転職先が決まって、

今の会社に突然「辞めます」と告げているように思います。

 

そのため、会社からしたら「今まで普通に仕事をしていたのに突然辞めるなんて…」とびっくりしていると思いますが、実は前から社員は「モヤモヤ」を抱えていて、

それに気が付かない企業の責任であると感じます。

 

このすれ違いによる連鎖が少しでも減ることを祈っています。

 

 

 

 

性格について

性格について


性格の評価は

その人を好意的にみているかによって性格の見方が著しく違ってくることがある。

例えば、

Aは、話好き、新設、積極的、思いついたことを実行するパワーがある。

一方で

Bは、おとなしい、自分の話は積極的にしない、自分の趣味の世界がある。

 


一般的には

Aの方は外向的で明るい性格で好印象

Bの方は内向的で暗い印象

を抱くかもしれませんが、判断する人や環境によっては

Aは、でしゃばりで軽率

Bは、正確な判断ができる、専門的な内容には誰よりも話す

など、評価が一転することもある。

その為、性格が何らかのかたちで行動に反映されたときにはじめて評価可能になるものである。

 

人の行動について

人の行動の裏には欲求、動機などがある。

例えば、水が飲みたくなって水を飲むなど


人間の行動は

自然環境(気温が暑いか、寒いか)、物理的環境(危険な場所か、安心して過ごせる場所か)、社会的環境(お祝いの席か、仕事の会議か)によっても同じ人の行動でも著しく異なる。


また

暗闇で紐が落ちていた時にある人は蛇に見えて驚くかもしれないし、ある人には紐に見えて冷静な対応ができたり、

人の行動というのは、環境の諸条件、その時の心理状況によっても大きく変化するものである。


ただ、同じ環境、諸条件でも各人の行動には差があるのが通説として存在しており、その要因が個人の性格の差異によるものということになる。

 

性格の一貫性

性格というのは、表に出ている特徴が常に一貫して出ているとは限らない。

例えば仕事中は几帳面でまじめ、きびきびと働くが、

退社後は夜まで遊んでいたり、言葉遣いも仕事中とは大いに異なっていたりするなど。

個人によって性格の一貫性がある人と、そうでもない場合もあることが示されてた。(ミッシェル)

 

異なる評価


体型や身長は評価が大きく相違することはないが

性格の評価はその人に対して好意的かそうでないかによって大きく評価が異なる。

評価する人の人生観や性格が大きく関与しているのである。

 

例えば

柔軟      ー  信念がない

意思が強い   ー  頑固

さっぱりしているー  単純

積極的     ー  厚かまし

世話好き    ー  押しつけがましい

社交的     ー  軽薄

粘り強い    ー  執念深い

上品      ー  きざな


そのため自分が思ったより評価されていない場合は、

自分についての相手の認知像の不一致が生じているのである。

 

人の行動を測定するためには

 

人の行動を測定するためには

いろいろな場面の行動を測定する事が大切である。

例えば、家では大変多弁であっても学校ではおとなしかったり、

子供たちだけの空間の態度と、大人が見ている場所での態度が異なったりなど

人の行動は、相手や場面との関係で変わってくるものです。

そのため、さまざまな場面を観察する方が、信頼できる結果を得ることができる。

面接の利点は

人間を断片的ではなく全体的に把握できる点にあります。

本人の無意識的な側面や、言語化されていない内容を推し量ることも可能である。

しかし、評価する人の背景や性格によって評価が異なってしまう為

客観的には判断がしにくく、結果がすべて一致することはほとんど起こらない。

解釈・まとめ

結局人によって人物に対する評価が異なるよね、ということでした。

ある個性がよく評価されるときもあれば、悪く評価されるときもある。

…それは皆さん生活していてある程度分かっていますよね。

私もそう思いました。

まとめると、↓

人によって人に対する評価は異なるものである。

なぜなら、評価する人自身の文化的背景や、性格、価値観によって良いと判断する軸は異なるし、その人に対して好印象を抱いているかによっても異なるからである。

どの性格にも、2つの側面があり、場面によって評価が異なるので、

一般的にはある場面を想定して評価する方が一貫性があるものになる。

 

 

 

 

5月20日の日記~心配性について~

こんばんは

社会人のいっぬです

 

今日は私自身の心配性についてお話します。

私はBtoBの営業職として働いています。

 

もちろん営業職のため、メンタルはおそらく弱いほうではないと思います。

例えば、大きな声で怒鳴られたり、納期を急かされて自分のペースが乱れたり、予想外のアクシデントで各方面に謝罪したりするような場面でも、仕事として割り切っているので、特に落ち込んだり傷ついたり…というのはあまりしない方です。(慣れです)

 

また仕事では常にPDCAを回し、なぜ怒らせてしまったのか、どうすればよかったのかを振り返り、次回は同じ過ちを犯さない様な仕組みづくりを考え実行します。

落ち込んでいても事態は変わらないし、しょうがないのでね。

 

そのような考えをしているので、ストレス耐性はあるほうだと思います。

ただ、

どうしても治らない私の根っからの特徴が”心配性”という部分です。

 

心配性というのは、まだ怒られてもいないのに、「これ…怒られるんじゃない?」とか考えて怒られないような先回りした行動をとったりなどです。

来てもいない最悪の事態をいつも想像してしまうのです。

 

その心配性の側面が、今日表れてしまいました。

 

実は今日、大きな契約が取れるかどうかの商談の日で、

朝10時に、自宅から約1時間半かかる場所で待ち合わせでした。

朝めちゃくちゃ早い訳ではなく、いつも通りに起きればいいはずなのですが、

心の奥底で「寝坊したらどうしよう…」という思いが強かったんでしょうね…、

夢で遅刻する夢を見てしまうし、朝6時半に目覚ましをかけていたのに朝自然と5時半に目が覚めてしまうし、動揺が全く隠せていない朝を迎えてしまいました😓

 

自分の心配性が発揮された朝でした。

なぜでしょうかね。

「寝ている状態から目覚める」という自分でコントロールできない状態を、コントロールしなければいけないからだと推測しています。

いくら目覚ましを何重に掛けても、意識が無い寝ている状態から目覚めるというのは

失敗するときには失敗します。

そのため、そこが”不安”なんだろうな…という分析をしてみました。

 

昔から心配性気質は変わらないのですが、

日常生活で困るというほどでもないので、むしろ自分の長所ととらえて長い付き合いをしていかないとなと感じる日々です…🐔

 

 

5月19日の日記~生理痛について~

こんばんは

社会人のいっぬです

 

今日の日記は生理痛についてです

ますます内容が人間科学と離れていく…

 

女性は知っての通り月に1回生理というものが5日ほど続きます。

中には生理痛がひどく、痛すぎてトイレに閉じこもったり、立ち上がれずその場にうずくまってしまったりしてしまう人もいます。

それが私の場合、生理が始まって1日目が一番痛いです。(かなりの激痛です)

そのため、産婦人科から生理痛の薬を3か月分もらい、何とか痛みを和らげて生活しています。(もちろん薬を飲んでも痛みが和らぐくらいで、痛み自体はあります)

 

今月末に来る生理用の薬が切らしていて手元になかったので、

今日(木曜日)会社を午後休みをいただき、産婦人科に行くことにしました。

 

いつも通っているところがあったのですが、最近引っ越しをしたため、新しい産婦人科に行くことにしました。

しっかり木曜日も営業しているか調べて、行きました…(Googleマップで)

 

ところが、目的地である産婦人科の営業時間の看板を見ると、

「木曜日休診」と書かれていました…。

事前に木曜日も営業していることを調べて確認したにも関わらず、木曜日が休診だったのです😢

 

HPが無い産婦人科だった為、Googleマップでしか営業時間を確認することができず、確かに事前の調査不足という私の落ち度もありましたが、

わざわざ会社を休んでまで来たのに…と、ひざから崩れ落ちました😢

 

産婦人科って、なぜか木曜日休診のところがほとんどなんですよね。

 

普通のサラリーマンのお仕事をされている方だと何となくイメージを共有できると思うのですが、木曜日って休みやすいんですよね。(私だけだったらすみません)

月曜日は、一週間のはじめだし休みにくい

火曜日は、月曜日の残りの仕事を片付けたいから休みにくい

水曜日は、仕事がノッてきたので休みにくい

木曜日は、仕事が落ち着いたらから休みやすい!

金曜日は、一週間の最終日だし、休みにくい

 

↑こんなイメージです。

そのため、仕事のスケジュールに余裕があったという、あまり考えずに木曜日休みを取ってしまいました…

かなりショックです。

 

土曜日の午前のみやっているそうなので、改めて再チャレンジをしようと思います。

 

体調管理は元々息を吐くようにできるタイプですが、予定通りにいかなかったとき、面倒くさいですよね。。。でもやらないと自分が痛い目を見てしまう。

嫌でも自分の体調には敏感になりますよね。ふぅ。。

 

さあ、あとラスト1日、頑張りましょう (金曜日)

 

 

 

5月18日の日記~テレワークについて~

こんばんは

社会人のいっぬです

 

今日はテレワークについて

私の会社はありがたいことに週2日はテレワークができる会社で、

今日がテレワークの日だったのですが、

実はテレワークの日は大体体調が悪くなってしまうのです。

 

体調が悪くなるというのは、

身体が重く感じたり、椅子から立った時に立ち眩みをしてしまうなどの自律神経系の体調不良です。あとお腹の調子も悪くなったり、足が妙にしびれたりつったりします。

 

これはなぜなのでしょうか…

皆さんはこのような症状はでないでしょうか?

土日と一日中勉強のために同じ椅子に座っていても特にこのような体調の悪さというのは出ないのですが、なぜかテレワークをするとこのような症状が出てしまうのです。

 

気持ちの問題でしょうか😓

好きな事を仕事にできているので、ストレスはあまりかかっていないはずですが。

 

考えられるとしたら、朝の通勤が程よい運動になっていたとか?

(そうすると土日のことが説明がつかなくなるのですが)

または水分不足?

 

自分の体調のことなのになぜこのようにテレワークをすると体調が悪くなるのかがわかりません。

通勤のストレス、会社に出社した時の対人ストレス(?)もなく、のびのびと仕事ができているはずなのに…

 

もしくは、テレワークだと仕事に集中しすぎて程よい休憩が取れていないとか?

 

テレワークだと悩みというか、嬉しいことばかりではなく、意外と体調不良になってしまうので、私的には週2回が限界と感じています。(テレワーク自体は好きです。ただ体調が悪くなるのが困っています)

 

またいつまでテレワークができるのかもわからず、

テレワークでも売り上げも上がり仕事が回るという事が分かったのに、いつかは週5出社に戻る予定ですし、なかなか、難しいものですね。

 

働きやすい環境とは週…

そもそも5で出勤しないといけないのか、一日8時間拘束されないといけないのか

…なんて、いろいろ考えてしまいます。

IT化が進んでいい感じに生産性が上がって、そこまで仕事をずっとやる必要もなくなっているはずなのに、なぜか8時間仕事をするために変な意味のない業務や会議を増やして、仕事をしている気になる…

楽になったから早く帰ろう👍とはならないのですよね。

 

いい加減目覚めたいですね。

 

5月17日の日記~気遣いについて~

こんばんは

社会人のいっぬです

 

今日は会社でいろんな人から感謝される出来事があったので日記に書きたいと思います。(最近ネガティブなネタばっかりだったのでたまにはポジティブなネタを…)

 

今日10名程度が参加している会議に私も参加しました。

参加方法は半分会議室、半分が自宅からリモートで参加という構成でした。

メインスピーカーが会議室で参加している人たちで、彼らの議論をリモート参加者が聞くというイメージです。

 

私は会議室参加側だったので、会議室の様子がリアルタイムで確認できる状態でした。

始まる前から部屋の大きさに対してマイクが小さく頼りないことが気になっていましたが、会議が始まると案の上、リモート側の方々が顔をしかめていたり、退屈そうにそっぽを見たりしていました。

会議室側の声がマイクで全く拾えておらず、リモート側は会議の内容が聞こえていなかったのだと思います。本来ならばリモート側は「声が聞こえないです」と伝え、マイクを調整したり、マイクを移動させたりする必要があるのですが、今更白熱した会議室側の議論を止めることもできずしかめっ面をしていたのだと思います。(よくありますよね、言いづらい雰囲気)

 

案外、こういう想定って誰もしないのです。

会議室側も「リモートの人聞こえていますか?」と一声かけるべきでしたが、

議論が白熱していて私も声を上げることができませんでした。

 

そこで私は、teamsの会議チャットで議論の内容を手打ちで書き込んでいきました。

「××××(氏名)」それに対し「▽▽▽(氏名)」と回答というように

誰がどんな内容を話しているかだけでも分かるように、打ち込んでいきました。

 

そのようにした結果リモート参加者から「あの会話チャットがなかったら2時間何も理解しないまま会議が終わるところだった」とすごく感謝の言葉をいただきました。

 

感謝されるために行った行為ではなく、会議に参加(拘束)されている以上、

聞こえていないと時間が無駄になってしまうので、なんとかして内容だけでも伝えないとと思ったうえでの行動でしたが、その目的(内容理解)は達成されたので、私的にもよかったなと思いました。正直嬉しくもありました。

 

もちろん異論はあると思います。

・わざわざ手打ちで入力する必要はあったのか?

・「聞こえないです」と一言いえば解決できたのでは?

・そんな聞こえないマイクを使うのではなく性能がいいものを購入するべき

など、いろいろやり方はあったと思います。

ただ、議論に水を差さず、あの雰囲気で穏便に済ませるには…と考えてしまうのが日本人の性…

会社で協調性を発揮するというのは難しいですね。やりかたはいろいろ。

 

ただ、日本の会議には

リモートでは特に、会議の内容が聞こえないのにそれが言い出せず、聞こえているフリをせざるをえないことって多々あると思います。

それを周囲が放置してしまうと、おいて行かれた側は不満が募り、周囲に対する信頼もどんどん薄れていってしまいます。

ベストではなくてもベターな選択を、小さな気遣いで報われる人の心はあると思うので、みんなが報われるように、私はこれからも私なりの気遣いを続けようと思いました。

 

 

 

5月16日の日記~”普通”について

こんばんは

社会人のいっぬです。

 

今日は”普通”について考えることがあったので書き連ねたいと思います。

 

よく会社の会話の中でマイナスの意味で

「普通はこうするでしょ」

「普通言わなくても分かるでしょ」

「普通ありえない」

 

”普通”という言葉を癖のように多用してしまっている人が多いと感じます。

かくいう私も無意識に”普通”という言葉を使用してしまっています。

 

一般的に、自分の思っている”普通”というのは、たいてい”普通”ではなくて

外部の人からしたら、「”普通”こうするでしょ」と言っているあなたこそ、

”普通”じゃない。となるのです。

 

前職で異動を経験したり、転職をして新しい職場環境を経験したのでひしひしと感じます。

特に年齢が上の人が”普通”とか、”常識”などの言葉を多用しているのですが、

大体、”普通”って豪語していますがあなたの周りだけですよ…と言いたくなる事が多々あります。

 

なぜ年齢の上の人が”普通”を多用するのか、”普通”を押し付けてしまうのか理由を考えてみました。

 

  • 同じ業務を繰り返しているから

:今の会社に10年、20年といて同じ業務を繰り返しているから、それ以外のイレギュラーが業務処理が発生すると”普通”じゃない!というセンサーが反応してしまう

 

  • 自分の仕事への自負がある

:長年自分がやってきた仕事への自負があり、自分のやり方以外で仕事をしていたり、自分の仕事が形骸的にやっている業務の為不要と言われているように感じ、プライドが傷ついてしまい、”普通”じゃない!というセンサーが反応してしまう

 

  • 自分の姿が見えていないから(客観視できていない)

:驚くことに”普通”強要する人というのは、一様に自分の姿を客観視できていないように感じます。自分が全くできていないのに、周囲を注意する姿をよく見かけます。

ここの、自分を客観視できていない理由が大きいように思います。

 

 

なぜ歳をとると自分を客観視できなくなるのでしょうかね…

今度、それについて文献を読んでみようと思います。

では今日はこれにて…🌝