社会人のいっぬ

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日記と人間科学

生きづらさについて

最近は「生きづらさ」を感じた人の起こす事件というものが増えてきている気がします。

犯罪を犯すところまではいかなくても、「いつもうまくいかない、、、」と落ち込んだり、イライラしたりしている人は、かなりの数いると思います。

世間の考え

一方で世間の考えは、

(世間というか、今の自分の立場は自分の実力によって勝ち取ったと思っている正義感をまとった人たちというべきでしょうか)

どうして事件を起こすのか、事件を起こすことで人生終わったな。

と思う人が 大半なのではないかなと思います。(最近は変わってきましたが)

このように

しんどいと思っている人が(方法は別として)訴えたとしても
「どこか遠くで起きた事件」「変な人もいるものだ」「自分にはあまり関係のないこと」

というような考えを続けている限り、「生きづらい人」が発端となった事件というものは減らないし、もっと悪化していきます。

身の回りにいる「生きづらい」と感じている人

事件になるほどの感情の大きな爆発とはいかなくても、

自分の周りの環境(学校、職場、仲間、コミュニティ)でも「生きづらい」と感じている人はいます。

でもそのような人に対して、大半は

「なんだか変な人」「容量悪いな」「全然コミュニケーション取ろうとしないな」「暗いな」「自分勝手だな」という印象をもち、

「できて当然。

できないならなぜしかるべきタイミングで助けを求めないのかと」

当然のようにと思う

なんてところでしょうか。

その人の仕事がうまくいかない事に対して「何か理由や原因があるのではないか…?」
と相手に寄り添い理解しようという行為には至っていないと思います。

私たちに悪気はなくても です。

(なぜならできて当然と思っていて、差し伸べるべき手を差し伸べていないのですから)


もちろん、その人の人生なので、「もっとこうしたらいいじゃん」とか、「勉強していい大学にいったら安泰だよ、勉強がんばろう」なんて、無責任なことは誰も言えません。

求めていないアドバイス程、余計なものはないですよね。

 

今できること

それは

「生きづらい人」もいるという理解、
それを得るには、
「生きづらさ」の要因を常識的に理解する事 

が必要であると思っています。

それが「生きづらい人」「生きやすい人」の相互理解の実現になればと考えています。

私は「生きづらさ」の要因をなど、発信していきたいと思います。

よろしくお願いします。